山田風太郎記念館は「旧関宮町の遺物」だから必要性は疑問と言った養父市事務事業評価・市民評価委員会
山田風太郎記念館:山田風太郎の会、民間化に異議 養父市評価委答申に反発
◇「市直営化を」
養父市の山田風太郎記念館の指定管理者として運営にあたっている山田風太郎の会(西谷公昭会長)は29日、市役所内で記者会見し、同記念館の市直営化などを求める声明文を発表した。11月9日に広瀬栄市長に手渡す。【吉川昭夫】
市事務事業評価・市民評価委員会(荒田幹夫委員長、10人)が今月20日、記念館の管理事業を「民間委託・民間化」が妥当とする答申を市長に提出したことに反発。声明文は、風太郎を戦後の日本を代表する作家と位置づけ、「作家について真剣に知ろうとしたのか疑わせる。記念館は単なる観光施設や商業施設ではない」と批判し、「会の聞き取りもなく答申された。市長がこの評価をもとに最終評価を下すことは黙認できない」としている。
記念館は03年、旧関宮町が風太郎を顕彰する施設として開館。合併後に引き継いだ市は06年から、指定管理制度で風太郎の会に管理運営を委託した。2000点を超える資料を所蔵し、書籍の貸し出しや特別展などを実施。昨年は約1万7100人が入館。市は今年度約315万円を支出している。
西谷会長は「風太郎の功績を広く顕彰するには、市が直接運営にあたるべきだ。金銭的な効率で判断せず、公正で民主的な評価に努めてほしい」と話した。
山田風太郎氏は終戦日記でも有名です。
さて,藤野雅之氏のサイト「蓼川亭通信」に「山田風太郎記念館を訪ねる」という随筆があります。長いですが引用します。
記念館は山田風太郎(本名・誠也)が通った関宮小学校の跡地を利用して建てられた、鉄骨平屋建て149平方メートルのこじんまりしたものだが、これができるまでには有本さんら地元町民の努力があった。
有本さんらは平成12年9月に町民有志15人で記念館設立を目的にして「山田風太郎の会」を結成した。しかし、その当時、関宮町では山田風太郎にはまったく関心がなかった。同町の出身と知らない人も多かった。風太郎の会の結成以前に、有本倶子さんは「風の会」をつくって山田風太郎の研究を始めていた。
倶子さん自身、風の会を始める前は、風太郎のことを「くの一忍法」のエロチックな大衆小説の作家ぐらいにしかみなしていなかった。しかし、その膨大な作品を読んでいるうちに、単なる大衆作家ではなく、もっと大きな文学者だと思うようになっていった。そして作家山田風太郎への敬愛の念が高まっていった。
彼女は晩年の山田氏を東京に何度も訪れた。家系を詳しく研究調査した家系図は山田氏も知らなかったことを明らかにしていた。出石の仙石家の家老職につながることを明らかにしていた。また母方は鳥取藩のお抱え絵師で、鳥取城の襖絵はすべてその絵師が描いたものだったことも調べ上げた。
風太郎の会には、同氏の小学校の同級生なども参加してくれた。有本さんのそんな努力を喜んだ生前の山田氏は、資料などの寄付の求めに応じてくれた。そんな資料を集めて「山田風太郎展」を地元で開き、作家の関川夏央氏を招いて講演会も開いた。年に1回の「風の会アンソロジー」は今年3月刊で6号を数える。
町当局は初めは記念館建設に積極的ではなかった。財政が逼迫しているというのがその理由だったが、正直なところ、山田風太郎に理解がなかったのだ。文化科学省(文部科学省か?)に記念館建設の補助金を申請したところ、あっさり数百万円の補助金が付いてしまった。それで町当局も後には引けなくなったのである。昨年度に建設費の町予算がついた。それで昨年11月から建築工事に入り、3月末に竣工。4月1日開館の運びとなった。
今年度は光熱費などの予算だけである。完成した記念館には、山田氏や夫人から寄贈を受けた初版本やさまざまな資料が展示されているが、半数以上は倉庫に眠っている。予算がつかず展示ケースが足りないからだ。専任の担当職員もいない。風太郎の会の会員が交代で入館者の受付をし、説明をする。その意味では、風太郎の会の手作りの記念館である。あれもしたい、これもしたいという思いはありながら、それができないのが現状である。
だが、私はこの山田風太郎記念館は他には見られない意味があると思っている。それは地元の町民有志が集まって、その熱意だけで実現した記念館だからである。自治体からのお仕着せでもなく、地元の有力者や遺族の肝いりの施設でもないからだ。こういう記念館は珍しいと思う。
関宮町は2004年4月に,八鹿町,養父町,大屋町と合併し,養父市となっています。毎日新聞の記事によると,市が運営費として支出しているのは約315万円のみ。
山田風太郎氏が逝去してまだ10年経っていないところではありますが,それでも,風太郎の会の行ってきたことは,地域の文化を掘り起こし,地域に誇りを取り戻す地道な活動。それを地域や行政と共有して,2003年に旧小学校跡地に記念館がオープンしたという流れかと思っていたが違ったのか。
養父市の事務事業評価とは,実施機関(部局等)が行う「自己評価」と,市民評価委員会が行う「市民評価」,そしてそれらを踏まえた市としての評価と見直し方針を示す「総合評価」からなるとのことです。今回は市民評価まで行われた段階。
10月20日に市民評価委員会(荒田幹夫委員長、11人)から市長に提出された答申は,養父市のサイトに掲載されています。
山田風太郎記念館管理事業
事業費:2,838千円, 人件費320千円, 職員数0.04人
自己評価
判定:C。 方向性:民間委託,民間化。 コメント:郷土の生んだ著名な小説家を顕彰し、郷里の地へ見学者を誘引する施設。利用率が低い現状。
市民評価
判定:C。 方向性:民間委託,民間化。 コメント:評価どおりとするが、委託ではなく民営化すること。<主な意見>・リピーターを望める施設ではない。・駐車場の有効活用がなされていないのは、職員の課題でないか。・旧関宮町の遺物であり、存続させる必要があるか疑問。・管理料の支払いをやめて、完全民営化を目指すべき。
判定欄は、A(維持・拡大),B(改善),C(変更),D(廃止・休止)の4ランクになっています。
それにしても,市側の自己評価では「郷里の地へ見学者を誘引する施設」としての価値しか考えていないようです。自己評価を観光課が行ったのか,教育委員会が行ったのかわかりませんが,驚くほどの認識不足かと思います。
市民評価は,さらにわけがわかりません。
(1)委託でなく民営化というのは何を言わんとしているんでしょう。推測ですが,記念館は民間が設置する組織として,資料もその組織が所蔵し保管するということでしょうか。小学校跡地は行政の財産でしょうから,これは記念館の組織に有償貸付するということでしょうか。明らかなのは,市民評価委員会は,山田風太郎資料は市として保管・活用するものではないと考えていること。
「主な意見」もわけわからず,(2)「リピーター」は観光客を考えているのか市民を考えているのか。そもそも観光客を考えているのであれば,自己評価においてすら「誘引」と書いてあって,これ自体で完結する性格のものではないのですから,勘違い評価です。市民をリピーターにするべきと考えているのであれば,よいのですが。
(3)「駐車場の有効活用がされていないのは,職員の課題ではないか」とは何? 普通の感覚であれば,「駐車場があるのに,記念館の利用者が使っていない」ということなんでしょうけれども,どうも違う感覚でものを言っているとしか思えない。
(4)「旧関宮町の遺物であり」「存続させる必要があるか疑問」。「必要があるか疑問」の根拠は「旧関宮町が遺した物」ということ。旧関宮町の人が聞いたら怒りますよ。
(5)「完全民営化」。機会費用も何も認めないということですね。ロジックはわかります。
はあ〜。
11月2日追記
上記記事より遡るものですが10月28日の毎日新聞兵庫但馬版の記事から
山田風太郎:「人間臨終図巻」「明治バベルの塔」 東京の自宅で直筆原稿発見
◇養父の記念館に寄贈−−来月から特別展で公開
養父市出身の作家、山田風太郎(1922〜2001)の「人間臨終図巻」と「明治バベルの塔」の直筆原稿が東京の自宅で見つかり、同市の山田風太郎記念館に贈られた。風太郎は原稿を意図的に破棄しており、貴重な発見という。11月1〜28日、同記念館の特別展で公開される。【吉川昭夫】
人間臨終図巻は「忍法帖シリーズ」と並ぶ風太郎の代表作。勝海舟やピカソなど著名人932人の亡くなる直前の言葉や様子をまとめた。勝の「コレデオシマイ」は風太郎が最も好きな言葉だったという。原稿の一部170枚が見つかった。
明治バベルの塔は、日刊紙を創刊した黒岩涙香や幸徳秋水など8人が登場する。すべての原稿107枚がそろっている。両作品とも自宅物置の段ボールの中から、夫人が偶然見つけたという。
風太郎は「書いたものが残るのはいやだ」と原稿を風呂のたき付けなどにしており、直筆原稿は数点が確認されているだけ。養父市の風太郎研究家、有本倶子さん(65)は「よくぞ残っていてくれた。風太郎の息遣いが聞こえるようだ」と話している。
ちなみに養父市の「養父市立山田風太郎記念館設置及び管理条例」から
第1条 山田風太郎文学の業績をしのび、その作品、遺品、図書、図表、写真等(以下「資料」という。)に接することを通じて山田風太郎を顕彰し、市民の教養の向上を図るとともに、人と人とのふれあいによる交流を図り、市の活性化に寄与するため、養父市立山田風太郎記念館(以下「記念館」という。) を設置する。
第10条 市長に資料の寄贈をしようとする者は、資料寄贈申込書(様式第5号)を市長へ提出しなければならない。
2 市長は、資料の受贈を決定したときは、当該申請者に資料受贈書(様式第6号)を交付するものとする。
せっかく寄贈も市として受けたところなのに。
11月10日追記
山田風太郎記念館:「適切・公平な評価を」 風太郎の会、市長に要望書
養父市の山田風太郎の会(西谷公昭会長)は9日、山田風太郎記念館の管理運営業務に対して「適切・公平な評価」をするよう求める要望書を広瀬栄市長に提出した。
風太郎の会は指定管理者として館の運営を請け負っている。市の事業を評価する委員会が先月、館の運営を民間委託・民間化すべきとの答申を市長に提出したことに不服を表明。市長の最終評価で適切で公平な判断を求めた。
広瀬市長は「委員会の評価自体は公平と考える」と答え、2年後の風太郎没後10年記念事業と予算措置、イベント費の復活は「市教委予算の中で考える」、案内看板やバス進入路は「前向きに検討する」とした。西谷会長は「市長の判断に注目したい」と話した。【吉川昭夫】
「適切な」評価をぜひお願いしたいところです。
「公平」ということについても視点次第でしょうが,「旧関宮町の遺物であり、存続させる必要があるか疑問」というコメントが「公平」なものとは,さすがに思えないんですけれど。
2010年4月28日追記 市長の総合評価が公表される
2009年12月11日に,市長の総合評価を加えた「平成21年度 事務事業評価報告書」が公表されています。
市長の総合評価は次のとおり。
[改善]
入館者数の達成率は目標の6,000人に対して46%(19年度実績)から53%(20年度実績)に上がっており、一定の成果が見られる。引き続き改善に努めること。なお、駐車場の有効活用を図ること。
[民間委託・民間化]だった「市民」評価よりは,前向きになっています。とりあえず,胸をなでおろし。