夕張市美術館閉館か?+収蔵品は?

財政再建中の夕張市で,市立美術館が本年3月に閉館となるとのこと。これに関連して毎日新聞の記事からhttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20070109k0000m040131000c.html

美術館 心配される収蔵品の行く末 北海道夕張市

 北海道夕張市財政再建団体移行に伴い、3月末で閉館する市立美術館の収蔵品の行く末が心配されている。倉庫に保管するだけでは作品が傷む恐れがあるからだ。美術館側は市民の発表の場として展示機能を残し、存続と作品の管理が出来ないか模索を続けている。
 同美術館は79年2月に開館。道内の市立美術館の中では網走に次いで2番目に古い。北炭社員の傍ら夕張を描き続けた一水展会員の故畠山哲雄画伯(1926−1999年)の油絵、スケッチ画など約450点のほか、市内の絵画サークルの炭鉱絵画、彫像など600点余りの計約1000点を所蔵している。
 市民の文化活動の拠点の一つだったが、年間20〜25万円の入館料収入に対し、電気代などの維持費に同250万円かかる赤字施設だった。
 このままだと収蔵品は倉庫に保管されることになるが、作品を良好な状態に保つには室温22度、湿度50〜60%を維持する空調システムが必要。市の計画では電気が止められるため、夏の湿気でカビが発生したり、冬期間は凍結したりすることも懸念される。
 美術館側は購入した作品の売却や寄贈された作品の返還を検討する一方で、市民の美術サークルの発表の場として一定期間開館するなどして入館料を稼ぎ、作品を保存する光熱費に充てる方策も思案している。
 これとは別に夕張美術協会顧問の比志恵司さん(71)ら3人が昨年10月から進めている美術館存続の署名活動には道内の画家、書家ら5500人の署名が集まっており、1月末に市などに提出する予定だ。
 上木和正館長(56)は「炭鉱画家によって育てられ、支えられてきた夕張の文化をこのまま消してはいけない。美術館の機能を継承出来る方法を見つけ出したい」と話している。【吉田競】

毎日新聞 2007年1月9日 1時29分 (最終更新時間 1月9日 1時37分)

公立であろうと,私立であろうと,博物館(美術館を含め)が例えば寄贈を受け,またはより優先的に取得することが可能となっているのは次の理由に寄ります。
(1)博物館には保存のプロである学芸員がいて(少なくてもいることとなっていて),資料の良好な保存を可能とする技術と施設を持っていること。
(2)地方自治体や財団法人・社団法人等の公益的な組織が活動を担うことで,保存体制の安定を保障していること。(個人が保存していても,その熱意のある個人がいなくなってしまうと散逸することがよくある)
(3)保存される資料は,資料のプロである学芸員が目を通したもので,何らかの意味で「貴重なものである」とのお墨付きが付いていること
(4)収集・保存された資料は,例えば展示されて一般の利用に供されること。もし展示されていないものでも,研究機関・研究者や他の博物館の必要に応じて,広く利用されることとなっていること。
逆に言えば,博物館はこれらのことを守れなければ,博物館に価しないものと思います。
夕張の例をどう考えればよいのか。。。。
自分のところで良好な保存ができなくなったのであれば,当然,資料をどうするか考えなければなりません。寄託(所有権自体は移転していないもの)品については,本来の所有者に戻すのが本来でしょう。
寄贈されたものは,寄贈者の意見を聞くこともありえるでしょう。ただ,寄贈者に返すより,よりよい保存や活用が見込めるならば博物館はそれを選択すべきです。
購入したもの,その他学芸員が何らかの手段で収集したもの(美術館ではほとんどありえないかな)は,当然,博物館として,よりよい保存や活用が見込めるところを探さなければなりません。それが博物館の責務でしょう。
夕張の例について言えば,美術館が開館しなくても存続できるのならば,それに越したことはありません。
でも,もし美術館を廃止するのであれば,どこかに移さなければならない。
そのとき,一番望ましいのは,同じ夕張市内で良好な保存・活用が可能となるような団体に移転させること。
それができないのであれば,地元を離れても良好な保存・活用ができる機関に移転させることが次善の策のように思います。国立近代美術館や東京国立博物館あたりに移転しても良いのではないでしょうか。

地元にあることで,より資料の価値が高まることも多いので,様々な議論もあることだと思いますが。

少し前の河北新報の記事から
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2006/03/20060317t15035.htm

“東北の宝”東京へ 自然史博物館の資料移転 斎藤報恩会

東北地方の生物や化石の標本など10万点近くの資料を収蔵する自然史博物館(仙台市青葉区)を運営する斎藤報恩会が財政難のため、事業の見直しを進めている。既に展示物400点以外の収蔵物を国立科学博物館(東京)に移した。仙台から“東北の宝”が失われたことを惜しむ声が上がりそうだ。
 移された膨大な収蔵品は主に東北各地を中心に国内外で採集された貝類、魚類、両生類の標本、化石標本など。現在では入手できない貴重なものも多い。市内のある研究者は「例えば、宮城県三本木町で発見された400万年前のゴカイの化石は非常に珍しい。研究者はもちろん、一般の人の目に触れられれば、もっと研究が発展する可能性があったのだが…」と残念がる。
 今回の措置の背景には収蔵品の劣化がある。特に鳥類のはく製の傷みが激しい。専門家が少ない上、厳しい財政状況もあって十分に修復できないでいた。
 年間入館者数は約1万人にすぎないし基本財産の利子運用にも限界がある。建物の補修費用も大きな負担となっていた。
 このため、10年ほど前から収蔵物の引受先を探していた。東北大総合学術博物館の建設構想が財政難を理由に進まないなど、市内では見つからなかったようだ。
 そんな中、国立科学博物館との話し合いが進み、先月下旬、収蔵物を移した。同館が中身を確認してデータベース化する。展示物を除くすべての自然史系の収蔵物を同館に寄贈する意向だ。
 報恩会は併せて博物館を縮小し、事業内容の見直しを図る。例えば、自然史系以外の収蔵物である考古学史料の展示も検討するという。活動のもう一つの柱である研究者への学術研究助成は変わらず続ける。
 斎藤温次郎理事長は「財政状況が厳しく、博物館として大切な『収集』や『修復』が十分にできないでいる。基本財産を大きくすることを考えており、研究者への助成は継続する」と話している。

[斎藤報恩会]炭鉱開発などで財をつくった斎藤善右衛門(1854―1925年)が、1923(大正12)年に財団法人斎藤報恩会を設立。東北帝大(現東北大)の本多光太郎(鉄の磁性研究)、八木秀次八木・宇田アンテナ)ら多くの研究者に学術助成したほか、33(昭和8)年に博物館を開いた。

2006年03月17日金曜日

東北各地で採集された自然史系の標本についても,地元にある方が望ましいだろうと思います。ただ,保存が良好にできないのであれば,移転することもやむを得ない選択だったろうと思います。

4月23日追記 資料の移転等について

博物館の資料の廃棄or移転については,2月5日及び4月12日のエントリーでも書いていますが,イギリス博物館協会の資料廃棄マニュアルが大変参考になります。