朝日新聞での文化関係の特集

2010年4月18日の朝日新聞の第一面に,「博物館−閉館の波」という大きな記事が出ています。日本学術会議でも「博物館の冬の時代」と呼んでいるこの時代について,4月21日から文化面で連載を行うとのこと。
まず,第一面から第二面の記事を紹介します。

博物館−閉館の波
 財政難 戦後初の減少
戦後,増え続けてきた日本の博物館の数が初めて減った。日本博物館協会による最新の調査で分かった。各自治体が設置を競った結果,4千以上の館が生まれたが,満足に展示すらできない館も出てきた。こうした日本の文化政策の貧困さをはじめ,文化の領域で起きている変化やきしみなどの「変調」を追いかける。
 有明海八代海に囲まれる熊本県天草氏。人口約9万人。市の中心部から車で30分,中田港に面して市立の新和歴史民俗資料館が立つ。入り口はシャッターが下りたままで,連絡先を書いた張り紙すらない。知らない人なら,閉館したと思っても仕方がない。実際,昨年度の入館者はゼロだった。
館内に入ると,ぷんとカビくさい。甲冑などの美術品や民具などにまじり,亀やイノシシの剥製,寄託された中国の古銭などが所狭しと並ぶ。
 同館は1977年,旧・新和町の合併20周年を記念して建てられた。06年,市町村合併天草市に。収蔵品は古文書や民俗資料など約3千点。当初は常時開館していたというが,現在,人手不足などで職員はいない。同市の教育委員会に尋ねたが「合併の前からのことで,いつから職員がいないのかは分からない」との返事だった。
 青森では,博物館の閉館で収蔵品が行き場をなくしている。青森市内に立つ旧清掃工場の管理棟。走り書きの文字が記された段ボール箱が,薄暗い部屋の天井近くまでぎっしり積み上げられていた。「地蔵」「馬のくら」「絵馬」「柱時計」,中にはラベルに「石みたいなやつ」という説明の箱もある。これらは,青森市歴史民俗展示館・稽古館の収蔵品だった民具など約5万点の大半だ。
 同館は,青森市青森県信用組合の建物を借り,98年に開館。年間の運営費は建物の賃料や人件費などをあわせて約5千万円。市の財政難などで06年に閉館した。
 建物は信組に返却。収蔵品は,まず旧市民図書館へ。その後,08年に旧清掃工場へ運ばれた。今年度予算に,廃校となった旧小学校を改築して「保管庫」にするための設計費は計上できた。だが,そこでの展示はできないという。市教育委員会文化財課の遠藤正夫課長は「ハコモノを新たに建てる時代じゃないのは分かっている。でも,適当な既存施設もない。じくじたる思いです」と話す。
 市町村より体力のあるはずの県立の館も例外ではない。千葉県香取市の県立中央博物館大利根分館は,かつては独立した博物館だったが,県財政の健全化のため,06年に中央博物館(千葉市)の分館に。職員は7人から2人に減り,開館は4〜9月だけだ。
 日本博物館協会が先月発表した08年度末の調査によると,実際に活動している博物館は4041館で,公立は3分の2を占める。全体では07年度に比べ21館減少し,戦後増え続けてきた博物館が,同調査の上で初めて減った。
乱立の果て 眠る館
 「草の根」で守る思い出か 豪華な「誇り」か
「7施設の廃止を」
 2010年度に230億円もの財源不足が見込まれた滋賀県は昨年8月,県行政経営改革委員会から,そんな提言を受けた。うち,文化会館や博物館といった四つの文化施設が,類似の施設が多いなどの理由から廃止に決まった。
 提言を受け,この3月末に半世紀を超える文化施設としての歴史に幕を下ろしたのが,大津市の滋賀会館だ。
 ホールや図書館,映画館などを併設。バイオリンやピアノの演奏会が開かれた。会館を管理してきた県文化振興事業団の岸野洋理事長は「県の“文化の殿堂”だった。何十万人もの県民が思い出を持っている」と語る。実際,住民らは「滋賀会館の再生を願う会」を結成。約3万6千人の署名を集め,チャリティー展を開催。改装して再生させようという「草の根」運動が広がった。だが廃止の方針は変わらなかった。
 一方で,財源を集中的に投じられてきたのが県立芸術劇場びわ湖ホールだ。約332億円をかけ98年に開館。初代芸術監督に指揮者の故若杉弘さんが就き,「オペラのびわ湖」の評価を得た。「県民の誇り」という声も多い。
 ただ,年間運営費は約15億円にのぼる。県民文化課は「東京と地方では,舞台芸術の供給量の差は歴然。情報発信のために“背伸び”を続けたい」と話す。「滋賀会館の再生を願う会」の鈴木靖将事務局長は「県民が愛する使節は廃止,びわ湖ホールについては不問。文化って何や」と疑問を投げかける。
 「絹本著色六道絵」などの国宝18点,重要文化財197点を収蔵・保管する琵琶湖文化館も,廃止が決まった。08年4月以降は展示を中止。常駐の職員は3人いるが,事実上の休館状態だ。1961年開館。城のような外観で,ピーク時には年約28万人が来館したが,90年代に減り始め,1万人台になっていた。
 「休館」後も収蔵品は増えている。地域に眠るいわば「草の根」の文化財が次々と寄託・寄贈され,休館時の5050点から7695点へ増加した。文化財の扱いに慣れた博物館が信頼されたからという。井上ひろ美学芸員は「文化館の機能に対するニーズは高い」と語るが,国宝も含め収蔵品の行く先は決まっていない。
 文化庁の調べによると,全国の自治体による博物館や文化ホールといった文化施設の建設費は,08年度の総額が326億円。15年前のわずか6%でしかない。
合併・・・だぶつく施設 新たな工夫の芽も
10年以上かけて行われた平成の大合併の波は,地域の博物館にも押し寄せている。
 本渡市牛深市の2市に新和町など8町が合併して誕生した熊本県天草市が抱える問題は,その典型だ。旧市町のほとんどが歴史系の博物館や資料館を持っていたため,合併後は市教育委員会文化課だけで9館を抱える。学芸員は3人,新和歴史民俗資料館など3館が「無人館」だ。9館の予算は非常勤職員の人件費こみで,年約6400万円。無人館でも防犯システムなどに年約30万円はかかるという。
 日本博物館協会の実働調査では,こうした公立の歴史系博物館の減少が最も目立つ。各市町村で博物館を持っていたが,合併してみると隣接地域だけに展示内容が似ていて,統合や閉館の対象となることも多いという。
 一方,市町村合併を機に,知恵を絞って,展示を工夫しはじめたケースもある。
 新潟県上越市は05年に,旧上越市と13町村が合併して生まれた。その結果,四つの歴史民俗資料館などが市総合博物館の所管となった。
 急浮上したのが,農具などの大量の民俗資料の扱いだ。総数1万点以上。そこで07年から8年計画で,これらを再整理,データベース化しはじめた。
 さらにそれらの成果をもとに企画展を開いた。米の籾殻などを取り除く「唐箕」だけで22台。すると,たくさん集めたことで,使われた地区ごとの共通性や細かな作りの違いなど,地域の様々な生活文化を,浮き彫りにできるようになった。
 同博物館の花岡公貴主任学芸員は「民俗資料について『どこにでもあるものだ』という人がいるが,捨てれば,昔の暮らしを語る資料は失われてしまう」と話した。
建設優先 理念後回し
日本の文化施設,特に博物館はなぜ増え続けたのか。博物館法が制定されたのは1951年。国は,翌年度から博物館の建設費の一部を補助する制度を導入して後押しをした。高度経済成長が続くなか,県政100年などの記念事業で多くの県ら立館が誕生。「地方の時代」を背景に,市町村も後に続いた。
 さらに「わが町にもすべての施設が欲しい」という「フルセット主義」で ,競って建てられたとされる。国が70年度に始めた,歴史民俗資料館の建設費の補助も追い風に。ふるさと創生事業などによる新設ブームが,バブル経済期から90年代末まで続いた。
 ここ10年ほどは一転し,予算削減や人手不足で,運営は厳しい。閉館や長期休館は,自治体の財政難や市町村合併,施設の老朽化によるところが大きい。だが,特に公立の文化施設は本来,利益を出すための施設として考えられていなかった。博物館法も原則としては公立博物館は入館料などの対価を「徴収してはならない」としてきた。
 木下直之東京大教授(文化資源学)は「財政難という現実を前に,問われるべきは経営よりも理念ではないか」と述べる。とはいえ,明確な理念に基づいた活動や住民からの支持がなければ,危機に耐えることは難しい。
 博物館の現状に詳しい飯田浩之筑波大准教授(教育社会学)も,「『資料を集め,建物を用意して展示すれば博物館になる』といった安易なつくられ方もあったのではないか。そもそも設置の際にどこまで館の社会的機能を吟味したのか」と指摘する。
 これに対し,文化庁で博物館行政を担当する栗原祐司美術学芸課長は「博物館がここまで悲惨な状況になったのはまず,学芸員の育成強化をせず,博物館の水準を保つ制度の形骸化を見逃した国の責任が大きい。自治体も利用者を楽しませる意識や努力が足りなかった」と反省する。その上で,「立派なハコなんかなくても,熱心で優秀な学芸員が一人いるだけで博物館は大きく変わる」と話している。
キーワード 博物館
博物館法では美術館,歴史博物館,動物園などが「博物館」に含まれる。一定の要件を満たした「登録博物館」,要件の緩い「博物館相当施設」,同法の縛りを受けない「博物館類似施設」がある。日本博物館協会が08年,実際に活動している館を対象に行ったアンケート(回答率56%)では,作品や資料の購入費がゼロの館は57%にのぼった。05年の調査から予算が減った館は50%。06〜08年に学芸系職員を新規採用していない館は72%だった。

後ほど,追加もできればと思いますが,今は感想のみつれづれと。
新和歴史民俗資料館の件は初めて聞きました。天草市立歴史民俗資料館条例では,新和歴史民俗資料館も含め,利用時間や休館日が定めらています。教育委員会が変更できるとはなっていますが,いまは開館している状況とはさすがに言えないでしょうね。
青森市の稽古館は2006年1月末で閉館していました。ハコモノを新たに建てる時代じゃないというのもそうでしょうが,資料の保存状況としては最悪に近いレベル。博物館先進県と言われてきた千葉県も,だいぶん体制が厳しくなってきたようです。
日本博物館協会が発行している「博物館研究」の最新号に,データが出ていました。手元にないので,記憶だけですが,昨年に比べ,新たに開館した館が19館,閉館した館がなんと40館。差し引き21館が減少したというわけです。