全国博物館大会他 長崎原爆資料館の学芸員の活動への私的提言

日本博物館協会主催の全国博物館大会が16日(木),17日(金)開催。
17日中に帰京しなければならないので,15日に長崎市内の博物館を見て歩きました。
さすがに,長崎原爆資料館は修学旅行生も多く,館内はぎっしり。記憶を伝えるという役割をしっかりと果たしていました。
そのほか,シーボルト長崎歴史文化博物館,市科学館,出島,サントドミンゴ教会跡資料館(シンプルだが,一見の価値あり−仙台市地底の森ミュージアムを思い出した)。
大会の主なテーマは,評価,指定管理者,公益法人改革。
博物館の評価は,(1)展示等個々の事業で目標をどれだけ達成できたかという自己評価,(2)経営資源の投入等,博物館の運営全般に関する自己評価,(3)行政等出資者の行う評価,(4)博物館や行政とは別に「中立的」第三者が「住民の視点で」行う第三者評価,(5)評価結果の住民への公開,などからなり,一つの体系を形作る。
「評価」ということについて人々が話す場合,全体像を話すのか,個々の評価について話すのか,そうであるならばどの評価の観点について話すのか共通理解をまず図らなければ,話し合いはすれ違いで終わってしまう。大会に参加して,そんなことを思いました。
主体的に各博物館が評価を行うにしても,その博物館の理念は何か,戦略目標は何か,当面の目標・計画は何かを洗い出すのが,評価への第一歩。ところが,博物館側も,行政側も,より簡単な「普遍的な」評価のためのツールをどうも求めているのではないか。
幻の「普遍的な」評価のためのツールを濫用してしまうと,「普遍的な」理念・目標・計画を持つ博物館が生まれかねません。
博物館への指定管理者の導入等,ガバナンスのため,行政側が博物館を評価しようとする際に,行政の質が悪く,博物館の理念や目標を捉える能力がなければ,その博物館をスポイルしかねない。そんな感想も持ちました。

長崎での食生活,チャンポン

火曜日(13日),仕事が終わってから長崎に移動し,夜10時過ぎチェックイン。結局3泊しました。
 最初の夜は部屋でアルコールを摂取し就寝。
 ホテルは朝食が無料で準備されていて,おにぎりとパン,サラダ,ゆで卵,コーヒー等を自由にとれるようになっていましたので,3回ともそれですませ,昼食,夕食は,大会の懇親会等も含め,外食の連続。
 さすがに,最終日にはおなかの調子がちょっと不安定な様子に。
 チャンポンを2回,トルコライス1回,カツカレー1回食べれば,さすがに調子も悪くなりますね。
 本格的に崩れなかったので良かったですが。
 
さて,話は少し変わり,チャンポンは関東でも,メニューに見かけます。長崎風チャンポンとは別物で,だいたいはタンメン風のもののうえに,野菜炒めのあんかけが載ったようなもの。店によっては醤油味の場合もあり,はたして関東で言うチャンポンとは何者?と,
ず〜〜っと疑問に思っていましたが,野瀬泰申(日経新聞編集委員)のコラムhttp://more.gnavi.co.jp/column1/05nose.htmlを見て(実際には,彼の本「眼で食べる日本人−食品サンプルはこうして生まれた」ですが),何となく,分かったような気がします。
もちろん,理由が分かったわけではありません。ただ,変異が大きなものというのは,人に愛されてきたことの結果であり,証拠であるということです。そしておそらく,今後,姿形はかわりつつ,名前が生き残るチャンスはより大きく広がったということでしょう。
ちなみに,東京で食べたものでは,江戸川区西小岩1-11-29の「たかはし」のチャンポンが美味しかったです。

長崎原爆資料館学芸員を採用 2007年1月7日追記

1月7日の産経新聞から

被爆者高齢化で学芸員を初採用−長崎原爆資料館
前身の長崎国際文化会館が開館した昭和30年以来,専門職員が不在だった長崎原爆資料館が,4月から勤務する学芸員の初採用に乗り出した。資料の収集,調査は被爆者のボランティアに任せきりなのが現状。高齢化が進んでおり,自前の専門家を育成し,被爆者頼みから脱却を目指す。
 資料館は長崎市の運営で,展示などは一般職員4人が担当。しかし3〜5年で市役所のほかの部署に異動するため,知識や情報の蓄積が難しく,人材が育たないという。
 募集には33人が応募。筆記と論文の試験,面接を経て,2月に採用を決める。資料館は「将来は増員も考えている。当初は展示の仕事が中心となるが,より効果的に見せることで,入館者の減少傾向にも歯止めをかけたい」と期待している。

今まで学芸員がいなかったとは思わなかったところです。原爆という現象は,直接的には,1945年に一度起こったわけですが,その現象を示す事物や記憶の収集も行われてきていましたから。
学芸員が入ることで,「記憶」の収集・蓄積・継承が,さらに活発に行われるようになるだろうと期待しています。
二つだけ懸念。
一つは,「展示の仕事が中心」「入館者の減少傾向に歯止めを」という資料館サイドのコメント。
記憶の掘り起こし,事物の掘り起こしこそが,最も大事なことのように思います。展示の仕事ではなく,市内,市外に出かけ,記憶と資料の収集を行う作業を当初からメインに据えるべきではないでしょうか。もちろん,展示の開発・製作は学芸員の大きな仕事ですし,そのことによる入館者数の増は極めて大事なことですが,これが「メイン」になると,結果として大事な記憶・資料が収集されないまま消えて行きかねません。
二つ目は,学芸員という専門職ができることで,記憶の掘り起こし,事物の掘り起こしが,その人だけの作業になりかねないこと。市内・市外,国内・国外の市民,被爆者,支援者がいてこその原爆資料館です。学芸員は記憶の掘り起こし,事物の掘り起こしのために研究能力がなければなりませんが,同時に,ネットワークを作り,様々な人の自主的活動をコーディネイトする能力を持つことが望まれます。採用された学芸員が人的ネットワークを作るには時間がかかりますが,焦ることなく,しかも促すことが市行政には求められると思います。