環境レイシズムと低線量被曝
定価:¥ 1,890 出版日:2000-07 出版社:解放出版社 作者:本田 雅和 風砂子 デアンジェリス | |
by 通販最速検索 at 2011/09/03 |
米国内での石油化学コンビナートをはじめとする環境汚染施設が黒人やスペイン系,アメリカ原住民などが多く住む地域に設置させられている。民族の違いによる人権侵害ともいえるこの状況に対して,米国内で広がり始めた告発の動きなどについて紹介しています。
ウラン鉱石発掘現場からの告発の記述を読んだ際に、セシウムとは化学的性質は異なるものの、ウラン鉱山地域の状況が低線量被曝の長期的な人体への,また生活への影響の事例となっているのではないかと感じた次第。定量的な調査がどれほど行われているのか詳細は不明ですが。
ちょっと長いですが,関連部分を引用(本田雅和/風砂子・デアンジェリス著,『環境レイシズム−アメリカ「がん回廊」を行く』,解放出版社,2000,pp.73-80)。
第一部 「環境レイシズム」とは何か
第二章 「環境レイシズム」現場からの報告
三 レイシズムのショーケース −ナバホ・インディアン
かつて南北アメリカ大陸を自由に動き回っていたアメリカ・インディアン=先住アメリカ人。そんな彼らの「土地」は次々と侵略者たちに奪われ、いまや「保留地」として確保されている大地は元の「領土」の四%にまでなっている。そんななかで彼らの社会経済指標は、あらゆる環境レイシズムのショーケースでもある。
インディアン保留地はいまやアメリカのなかの第三世界、最貧「国」となっている。
連邦政府インディアン局やインディアン健康サービスの最近の統計でも、インディアン人口のやはり約三割は貧困ライン以下の生活を続けている(これは黒人の貧困率とほぼ同じ高率。先住アメリ力人の人口比は〇・八%以下)。平均収入はアメリカ平均の約七〇%。総人口は一八〇万人余(一九九〇年センサス)だが、うち九万三〇〇〇人がホームレスか最低限のシェルターにもなりえない「住居」に暮らしており、乳児死亡率、結核の罹患率はアメリカにおけるあらゆる人種中、最も高く、平均寿命は最も短い。
乳児の突然死率は白人のそれの約二倍。一〇〇〇人当たりの乳児死亡数が全米平均九・一に対し、インディアンは黒人とほぼ同じ高率の一八・一だ。ノースカロライナ大学のデビッドーサビッツ助教授は、インディアン乳児の突然死症候群を分析して異常に高い先天性障害や流産率を指摘。「いくつかの証拠によって父親の労働や生活の環境との関係が疑われる。鉛などの重金属やある種の溶剤など化学物質への露出が精子形成などに影響していないか、ということだ」と説明している。
アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラドの四州にまたがる「フォーコーナーズ」一帯のナバホ・インディアンの保留地の状況はさらに深刻だ。ナバホの人々が長年にわたり、安全教育も情報もなしに、つまり十分な保護服・防護具もなしにウラン鉱山の採掘労働者として使役されていたことはよく知られている。放射線を帯びた鉱滓で家を建てるための煉瓦をつくっていた人も多い。賃金も保留地外の賃金の三分の二以下で酷使されてきた。
核開発政策を支えた裏に高率のがん罹患率
アリゾナ州モニュメントーバレーに住む元ウラン鉱夫は「このあたりの人たちはみんな鉱滓を含んだ土壌で家を固めた。会社は危険だなんてまったく言わなかった。この家も出たいけれど、他に行くところがない」と語った。
いったいどれだけの住居に鉱滓が含まれているかもわかっていない。コロラド州グランド・ジャンクションの初期の採掘現場近くでは、ウラン廃鉱の鉱滓が住宅だけでなく、ショッピングセンターや歩道造りにも使われた。州保健局は同地域に高率の先天性障害児の発生を報告している。また、この地域の一五の小学校を含む五〇〇以上の建造物が放射能に汚染されているという。(連邦政府会計検査院のまとめ)
ナバホ鉱夫が作業中に浴びていた放射線量は、当時の「許容量」の九〇倍だったという一九五九年の報告がある。いまやナバホ民族の肺がん罹患率は全米平均の約五倍になっている。さらにこの地域に二〇年以上住んでいる人々は他のアメリカ人より二五%以上がんにかかりやすいリスクにあるという。(疫学医のジョセフーワゴナー博士)
ナバホ自治政府保健局の調査によれば、ウラン採掘地域のナバホ民族の一〇代の若者の生殖器がん罹患率は全米平均の一七倍にも上る。アメリカ政府は少なくとも一九七六年以降には、ウラン採掘がいかに危険かを認識していたというのに、彼ら少数民族の命や環境を守るために、何の手も打たなかった。
長年の裁判闘争と連邦議会への働きかけを経て、ナバホの人々が連邦政府の公式謝罪と賠償を勝ち取ったのは一九九二年になってからだ。この年、約三〇〇人の元ナバホ鉱夫とその家族に補償金を支払う法が通った。
しかし、この立法では明らかに手遅れであった。一年後のニューヨークタイムズの調査で判明しただけでも、一九四〇年代から七〇年代前半までに一五〇〇人以上のナバホの人々が、ウラン鉱脈の爆破や採掘のために駆り出され、アメリカの核開発政策を支えた。
すでに、当事者の多くの人々ががんや呼吸器系疾患で亡くなっている。一〇〇〇人以上の元鉱夫とその家族が提訴したが、九三年までに訴えが認められたのは三二八人にすぎなかった。
ニューメキシコ州シプロックにあるナバホ自治政府のウラン鉱山労働者事務所の九八年調査では、鉱山労働者(精練所労働者も含む)として登録されているのが二七九三人。がんの罹患率は三〇%で、肺がんは一三%。がんや呼吸器系疾患ですでに七〇〇人近くが死んでいるという。(九六年末現在)
マイノリティの環境問題を調査してきたポールーロビンソン研究所長(アルバカーキ・南西リサーチセンター)は、放射線被害を受けた元鉱夫や労働者は一万人から二万人の間と見積もっている。うちこれまでに何らかの補償を得だのは千数百人だという。
政府はウランを得、ナバホは健康も環境も失った
アメリカ政府は、役に立ちそうもない荒れた土地を先住民の保留地に指定したはずだったが、皮肉なことに国内のウラン資源の三分の二までがインディアン保留地の地下に眠っていた。核実験もネバダの砂漠であろうが、太平洋上であろうが、そのほとんどすべてがネイティブ・ランド(先住民の土地)を犠牲にして実施され、結果、いちばんの環境被害を受けたのも先住民族だったのだ。
一九三〇年代からの不況のなかで、鉄道工事などの出稼ぎに出ていたナバホの男たちの多くは、四十年代に入り、家からの通いで保留地内のウラン鉱山で働けることを喜んだ。
ヘレン・ジョンソン(三十五歳)は八歳のときに父親を肺がんで亡くした。父はウラン鉱石の砕石ドリラーだった。会社はマスクさえ支給しなかった。母親は二日に一度、鉱滓と泥のこびりついた作業着を洗濯していた。家族の多くがやはり、がんや呼吸器系障害をわずらっている。
「白人の政府はナバホの健康を守ると約束した条約まで交わしていたのに、まったくのうそだった。結局、私たちを犠牲にして政府はウランを得、会社は金もうけし、われわれは健康も環境も失った」
フォーコーナーズの一角、スリックロックやリコのウラン鉱山で働いてきたジム・ミニゴートは一九九二年七月、やはり肺がんで六十九歳で死んだ。娘のネイオミ(四十六歳)、ペティ(四十二歳)は、父が毎日着て帰る作業服の汚れやにおいをよく覚えている。「父は採掘作業中に地下水が噴き出してくると、それを飲んでいたと話していました。鉱山の上に労働者の住宅というか、テントがあり、子どもたちは皆、鉱滓の上で遊んでいた。弟は生まれつき発育不全と知恵遅れで九ヵ月で死にました」。
ニューメキシコ州シプロックの道路から、山のなかに一二マイル人ったところにある小屋を私が訪ねたとき、ジムの妻ベシー(六十六歳)は、吐き気と呼吸困難で寝たり起きたりの生活だった。一家が「ウランが危険だ」と聞いたのは、補償法が成立した一九九二年のことだった。
フォーコーナーズにはまだ一〇〇ヵ所以上の未処理のウラン鉱滓跡があり、覆いや囲いさえしていないところも多いという。
貧困にあえぐインディアン・コミュニティーはゴミ処理産業に対して特別の吸引力をもっているかのようだ。政治力をもつ、都市近郊の中産階級たちが、自分たちの地域にゴミ施設を開くなと反対した結果、施設をインディアン保留地に持ってこられたということもあるが、そればかりではない。
各インディアン民族とその保留地は、ひとつの「国」として形式的な統治権(自治権)を認められていた。州レベルの環境規制などの直接適用がなく、連邦法の適用についてもさまざまな留保条件があるため、逆に環境規制の空白地帯となりえた。八〇年代、インディアン保留地は汚染企業にとって有害ゴミの投棄場所の草刈り場となった。しかも多くの保留地は高い失業率に苦しんでおり、危険で劣悪な条件でも労働者を雇うことができた。保留地の失業率はどこも五〇%に近く、ときに八〇%を超すところさえあった。