<祝>丹波マンガン記念館再開

京都市(元 京北町)の丹波マンガン記念館については、このブログでも2008年11月18日2009年3月3日2009年5月25日2009年10月25日のエントリーで触れたことがあります。
この2011年7月3日(日)から,日曜限定で再開しました(金,土も予約制で訪問可能)。 とても嬉しい。
なかなか訪ねていける機会もないけれども,近いうちに行ってみたい。
開館時間などくわしくは同館ホームページの入館案内を。


2011年7月30日の東京新聞の記事から

歩いて楽しむ京都の歴史 丹波マンガン記念館−過酷な史実 再び公開
不況のこの時代,文化関係の施設や団体には冷たい風が吹き付けている。社会全体が,金銭的な利益は生まないが長期的には不可欠の事業に対する関心を失いつつあるのだ。そんな昨今,久しぶりにうれしいニュースに接した。財政難によって閉館していた丹波マンガン記念館(右京区京北下仲町東大谷)が3年ぶりに再開されたというのである。
丹波マンガン記念館は,昭和51(1976)年まで操業していたマンガン鉱山のひとつを保存した博物館である。ここで働いていた李貞鎬氏が,自分たちの歩んだ歴史を後世に残すために,私財のすべてをなげうって創設したという点でも異色の博物館だ。マンガンは鉄の郷土を強めるという性質を持っており,戦前には軍需産業に不可欠の重要物資であった。天然資源に乏しいわが国は,軍の号令一下,マンガン鉱山の開発とその採掘に国家の存亡を懸けたのである。
しかし,狭い坑道が入り組む鉱山での労働は過酷を極め,その報酬は驚くほどの低賃金だった。そこで働く人々は,自らの肉体の他には生きるための糧を持たない貧しい労働者たちであった。そのうちのかなりの部分は,当時日本が植民地として支配していた朝鮮の出身者であり,この博物館の創設者の李貞鎬氏もそのひとりだったのである。
丹波マンガン記念館で公開されている坑道は総延長300mに及ぶが,これは実際のごく一部にすぎない。今は安全のために坑道が拡張され,夏は涼しく冬は暖かくて気持ちよく見学することができる。しかし,かつての狭い鉱山で働く人々にとっては,快適などとはお世辞にもいえない環境だったはずだ。
日本のマンガン採掘とは,決して明るい歴史ではない。しかし,だからこそ私たちはこうした歴史を忘れてはならないし,そのためには丹波マンガン記念館はかけがえのない施設である。交通至便とはいえない土地ではあるが,私たちの子孫にこの知識を伝えるために,ひとりでも多くの人々が丹波マンガン記念館を訪れることを期待したいものである。(同志社女子大教授 山田邦和)