大阪人権博物館の存続を

7月25日の毎日新聞東京夕刊の記事から

大阪人権博物館:存続の危機 府市の補助金打ち切り 問題知る場なくせば差別は消える?
 国内で唯一の人権に関する総合展示施設、大阪人権博物館(リバティおおさか、大阪市浪速区)が、存続の危機に直面している。年間10億4000万円の収入のうち約85%を占めていた大阪府・市の補助金が、今年度で打ち切られるためだ。行政が人権問題についての施設費用をまかなう意味と、補助金打ち切りの背景を、識者らの言葉から探った。【鈴木英生】
 同博物館は、1985年開館。部落差別を筆頭に、アイヌ在日コリアン▽沖縄▽女性▽ハンセン病薬害エイズ−−など、さまざまな問題を取り上げる。展示資料は約2000点。文書やパネルを並べるだけでなく、実物大で再現したアイヌのチセ(家)、沖縄や朝鮮半島などの民族衣装が着られるコーナーなどもあり、多面的だ。
 橋下徹大阪市長松井一郎大阪府知事は今春、展示が「差別と人権に縛られている」「子供が夢や希望をもって将来像を描く施設になっていない」などとして、補助金打ち切りを決めた。
 博物館の関係者らは、補助金打ち切りを「人権教育の危機」と憤る。以前は橋下市長自身、「僕は、人権という教育は絶対必要だと思ってますので、ここはもう崩さず」(府知事時代の2009年に博物館リニューアルを求めた際の府議会での発言)などと語っていた。
 そもそも人権問題の展示施設を、行政が支えてきたのはなぜか。人権博物館の元理事長でもある元木健・大阪大名誉教授(社会教育学)は「『社会教育法』で説明ができます」と話す。
 一般的に、博物館の設置運営は、同法に基づく社会教育の一環とされる。同法は、国や地方公共団体が「市民の自主的な社会教育活動のための環境醸成」をしなくてはならないとする。「同法は、博物館など施設の設置運営どころか、集会の開催や資料の作成・配布までも、行政の責務としています」(元木さん)
 数ある社会教育活動の中から行政がどれを支援すべきかは、市民のニーズに基づくとされる。ただし、元木さんは「このニーズには、要求課題と必要課題の二つがある」と説明する。
 要求課題とは、実際に住民が行政に要求しているもの。これに対して必要課題は、「多くの市民が求めていなくても、憲法教育基本法が求める、民主社会を築くために必要な課題です」。目に見える要望がなくても、行政には率先して取り組むべき課題があるわけだ。ましてや人権博物館は、憲法が保障する基本的人権の侵害について学ぶ場。行政が支援して当然、むしろ「本来は国が運営すべき施設」と、元木さんは強調する。
 しかも、人権博物館の維持は、要求課題でもある。部落解放同盟浪速支部補助金打ち切りに反対し、博物館周辺の住民から5月の10日間で2730筆の署名を集めた。住民は約3600人だから、同支部の米田弘毅書記長は「就学前の子供や署名期間中ずっと留守にしていた人を除き、住民のほぼ全員が署名したはず」という。
 橋下市長は、元木さんに「子供の頃、人権教育に反発した」と語ったことがあるという。元木さんは「大阪の人権教育は世界的にも極めて高い水準にあるが、原理主義的な行き過ぎや、教員の未熟さから十分な指導ができない例もあった。橋下市長は、その悪い面をもろに受けてしまい、反差別一般に嫌悪感をもったのでは」と分析する。
 ある博物館関係者は言う。「市長は、差別問題について知る機会がなくなれば、差別自体がなくなると思っているのでは。差別に屈せず生きてきた人々の歴史を学ぶことからこそ、差別解消への道もあると、私たちは思うのだが」
 在日コリアン2世でもある姜尚中・東京大教授(政治学)は「橋下氏がターゲットとする施設に、人権博物館と、住友財閥の寄付で戦前に建った府立中之島図書館が入っているのは象徴的だ。さまざまなマイノリティーやマジョリティーが形作ってきた複雑な世の中全体を否定して、競争原理だけに基づく社会をつくりたいという思考が、背景にある気がする」と話している。
◇反対署名など展開
 人権博物館は今後について「来年4月からの博物館のあり方は、関係諸機関・諸団体と協議する」としている。
 部落解放同盟大阪府連などは「リバティおおさかの灯(ひ)を消すな全国ネット」を設立し、補助金打ち切り撤回を求めて運動している。同ネットは署名活動のほか、昨年度より2割削減された今年度の補助金を穴埋めするためのカンパ活動も展開中だ。

1982年に財団法人大阪人権歴史資料館ができた際は,「大阪府下の同和問題をはじめとする人権問題に関する歴史的調査研究を行うとともに,関係資料,文化財を収集,保存し,併せてこれらを一般に公開することにより,人権思想の普及と啓発に資する」ことが目的であった。そして1985年に資料館が開館する。大阪府の,同和問題にかかわる(もちろん部落内も部落外も)人による,または人のための博物館であった。そして,この動きは全国の期待を集めた。
全国で部落差別,性差別,民族差別に関わる人,また障害者の人権,ハンセン病者差別問題,公害(四日市水俣,足尾)などに関わる多くの人の期待を集めた。
開館から10年経った1995年,大阪人権博物館としてリニューアルオープン。常設展示は「人権からみた日本社会」を統一テーマに掲げ,大阪の博物館から全国規模の博物館へと視野を広げた。"本来は国が運営すべき"機関へと発展を遂げた。
2010年に日本博物館協会がセレクトした日本の博物館百選にもランクインしている博物館である(ちなみに大阪府内でランクインしている博物館は,大阪市立東洋陶磁美術館国立国際美術館国立民族学博物館大阪人権博物館大阪歴史博物館大阪市立自然史博物館である)。
世界人権宣言を具体化した国際人権規約に,1978年に日本は署名している(A規約は52番目,B規約は50番目,ただし一部留保)。1995年には人種差別撤廃条約にも146番目の国として加入するなど,国際的に遅ればせながらも人権への取組をすすめてきた日本国として,人権に係る博物館が,国という統治機関からの独立性を持ちつつ存続していることは先進国の証でもあったはず。