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新・トンデモ超常現象60の真相
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メモ
歴史科学190号 東大史料 歴史系博物館で現在考えていること 久留島浩
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鎌田慧が,著者の山本作兵衛に関して,次のように書いている(『全記録 炭鉱』,創森社,1977 より)。
著者は文章を原稿用紙には書かず雑記帳に書き付けるという。
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何故か。それを解く鍵は,『近代民衆の記録2 抗夫』に添えられている上野英信の「解題」にふくまれているようなのだ。
「この痛切な執念と愛情をこめた記録作業は,もっぱら著者が三番方勤務の深夜,坑内のササ部屋(現在詰所)で仮眠もとらずにおこなわれた。翌年には,その粗末な四百字詰め原稿用紙の量は,およそ1500枚近くに達していたという。しかし,この貴重な地底の遺書は,ついに孫にも伝えられないまま,日の目を見ることなく破棄された。心ない同僚たちからの中傷からである。坑内詰所の手箱におかれたままの原稿をひそかに読んだのであろう。他の職員たちは著者が昇抗して家へ戻る姿を見て,『一年生が帰りよる』,『一年生ならよかばってん。幼稚園が帰りよる』とあざ笑った。そのうわさを耳にした著者は,痛憤のあまり,一枚残さず原稿を破り棄ててしまったのである。」
記録者の悲惨,ともいえよう。記録はもっとも身近なものからは,もっとも無駄なものとみられがちである。その誰もが現在を歴史のなかでみることをしないからである。それでも,われわれにとって幸運なことに,山本作兵衛は,もう一度気を取り直してその無駄な営為を繰り返すことにしたのだった。それが『筑豊炭鉱繪巻』である。
このエピソードは,記録の運命を考えさせて余りある。
記録の地位は,つねに不当に低められているのである。それは記録に登場する主人公たちが,存在を無視され続けた歴史の長さを反映している。誰からも注目されることのない日常性の無限の繰り返しが,本人自身の生活を「こんなもの,なんの値打ちがあろうか」と思いこませて充分である。
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いまの労働者の生活もまた,職業的な作家によって描かれることもなく,やがて過去の暗闇のなかに呑みこまれようとしている。労働者は,自分の労働と生活と闘争をみずからの手によって記録する作業を通じて,・・・変革への意志を子や孫に辛うじて伝えることができる。
記憶と記録。記録が他者性を持つ,記憶に他者性を持たせることの意味。