いちき串木野市・串木野市議会で住民投票条例,全会一致で可決

http://d.hatena.ne.jp/ironsand/20041211#p1
http://d.hatena.ne.jp/ironsand/20041124#p1
http://d.hatena.ne.jp/ironsand/20041112#p2でふれてきた日置郡市来町串木野市の合併問題。
http://373news.com/2000picup_bak/2004/12/picup_20041216_5.htm
串木野市議会は15日、本会議を開き、1日に合併協定調印式を終えた市来町との合併の是非を問う住民投票条例案を全会一致で可決したとのこと。
なお,大久保幸夫市来町長は取材に対し「串木野市議会が住民意思を最終確認しようと判断されたこと。投票結果を見て対応する」と語った。まあ,確かに見守るしかないんだが,だんだん愛想がつきてくる。
ここで使った住民投票経費800万円が無駄金に見えてくる。

エマ他

エマ5巻 2月発行予定とのこと。

「エマ」は素敵です。応援します。

修正

エマ5巻は3月31日発行です。
小説版エマ第1巻が3月22日発行とのこと。商魂たくまし。

夕凪の街 桜の国

夕凪の街桜の国
夕凪の街桜の国こうの 史代

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イルカ・クジラ:日本では年間2万頭捕獲

調査捕鯨で(これ自体問題があるという意見も多いが)500頭のミンククジラを捕獲し,調査されたクジラの肉は市場に高値で出回っている。ミンククジラ自体は,比較的個体数の多い種であり,これくらいの頭数の捕獲は問題になる範囲ではない。
#しかし,毎年,義務のように数百頭捕獲に行く“科学的研究”とは何だろう。
しかし,それ以上に驚くのは,年間2万頭弱のハクジラ類の捕獲。
体長が短いものが多く,一般的にはイルカと呼ばれるものである。特に多く捕獲されているのはイシイルカ。
国際捕“鯨”取締条約は“クジラ”のみが対象と解釈し,生物学的には何も意味もなく,“イルカ”を適用除外しているという。
クジラと日本人の関わり,歴史は長い。子供たちにも伝えたいし,そのうえで,クジラやイルカと“私”の関係を一人一人が今後も考えていく,そういうつきあいができるといいなと思う。
調査捕鯨も,頭数を区切り,ある程度ていねいにやっている。
しかし,このイルカ追い込み猟の実態は何か。日本政府は二枚舌ととられはしないか。あまりにも脇が甘すぎるように思う。
捕獲頭数等はhttp://www.tokuya.jp/zukan.htmlなどを参照のこと。

1月27日追記

そういえば,太地の漁協スーパーでは,ミンククジラの肉の他,ちゃんとマイルカの肉が販売されていました。
調理環境があれば,安かったので試みに買って返りたくなりました。

産業・教育資料室「きねがわ」

http://d.hatena.ne.jp/ironsand/20041104#p1でも触れた件。
もともとは約30年前,木下川小学校40周年行事のとき,地域から集められた産業資料を,展示した「産業資料館(室)」を引き継ぐものである。
そもそも2003年春の木下川小学校の統合により,学校関係の基本的な資料は統合した小学校に移転したが,産業資料館の資料をはじめ,それらの資料の活用が課題となったのである。
木下川小学校の最後の職員会議で,「木下川資料管理委員会」を結成。そのメンバーでどのような地域資料館を目指すか,資料をどのように保存,整理,展示していくかなどを検討。また,専門の立場から学芸大の君塚氏,大森氏も助言。
旧小学校の建物は暫定5年間はそのまま。消防法の関係で,産業資料室は4階から1階に移転しなければならなかった。まさに博物館の原点だが,ボランタリーな力,地域の力で,部屋の改装作業が実施されたという(5月の連休2日間で延べ50人以上のボランティア)。
展示の構成は,1)木下川の街の歴史,2)木下川の産業,3)学校の歴史,教育実践など。資料も地域を探し,寄付・寄贈を受ける。
この地域に支えられた資料室が,地域の価値の再発見,地域文化の発信,他地域との交流の拠点となることを願います。

2007年1月3日追記

趣旨より

「産業・教育資料室 きねがわ Archives Kinegawa」は,地域の産業資料と木下川小学校の教育・子どもたちの営みを,収集・保存・整理・展示します。
「皮革と油脂」を中心とする木下川の産業資料は木下川小学校に1976年に開館した「産業資料館」の資料に新たな収集品を加えました。皮革・油脂の仕事を担ってきた人々の思いと暮らしに触れ,町づくりや地域学習に活かしていきたいものです。
地域の熱い想いで1936年に創設され,2003年に閉校した木下川小学校の教育は,人権教育の灯をかかげ続けてきました。長年にわたり教師と子どもたちが積み上げてきた学習成果を収集,整理,展示,研究することで,この意味を明らかにし,教育のあり方を考える場にしたいと考えます。
この資料館が木下川の住民と他地域の人々との交流の場となり,人権学習の発信の場となることを願ってやみません。
2004年10月20日 木下川資料運営委員会

1932年,吾嬬奉明会設立。木下川小学校は1937年4月,東京市向島木下川尋常小学校として開校。

なお,資料室改質は,火・木・土の午後1時30分〜5時。教育委員会施設担当(5608-6313)へ。