羽田航空宇宙科学館構想

1988年に羽田航空宇宙科学館設立準備会が結成され,航空宇宙博物館の設置運動が行われています。準備会は現在,羽田航空宇宙科学館推進会議と名称を変え,(社)日本航空宇宙工業会,(社)日本航空宇宙学会,(財)日本航空協会,(社)日本航空技術協会,(社)日本女性航空協会,(社)日本航空機操縦士協会,航空ジャーナリスト協会などの7団体とともに運動を進めているようです。
http://www.asahi-net.or.jp/~te7y-kbys/HASM/ (羽田航空宇宙科学館推進会議ホームページ)

本日の産経新聞に,その件で,記事が掲載されていました。
タイトルは「宙に浮くYS-11 1号機−羽田再拡張で博物館展示計画頓挫」。記事の概要を紹介します。
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国立科学博物館が所有しているYS-11量産1号機は,羽田空港全日空1号格納庫に保存されている。3か月に1度チェックが行われ,現在でも飛行可能な状態で保たれている。
国立科学博物館(東京・上野)には,全長26m,全幅32mの機体を展示するスペースはないが,一方,羽田空港には沖合展開事業で空いた旧旅客ターミナル跡地を中心に航空宇宙科学館を建設する構想があり,実現すればYS-11が展示の目玉となるはずだった。
ところが,平成21年度刊行予定の再拡張事業後,この跡地に新国際線ターミナルが造られることが決まり,科学館構想は白紙に戻った。
航空関係者やNPO等で構成される羽田跡地利用推進会議は,空港にふさわしい文化・集客施設を創るべきだと大田区に要望しているものの,資金や事業主体の問題から,実現のめどは立っていない。
推進会議世話人代表の田中常雅さんは,「日本の民間航空を支えた飛行機が次々に引退していき,早く手を打たなければいけないのに,国には危機感がない」と憤る。
国内にはYS-11が7機,展示されているが,うち6機は屋外。どんなにメンテナンスしても屋外にある飛行機は保存状態としては最悪で,朽ち果てていく。
再拡張が終わる21年度以降,旧整備地区を含めて羽田空港は大きく変貌することが予想され,貴重な産業文化財をどう保存するのか,その答えは見つかっていない。
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というものです。
YS-11については,本年9月に国内での運航が終わったことから国立科学博物館で「YS-11 国産旅客機44年の航跡」と題して9月から10月にかけてミニ企画展が行われていたようです。
http://www.aero.or.jp/isan/tenjikai2006-ys11.htm(日本航空協会のページ)
多くの人の記憶にいまも鮮明に残り,また将来へつながる技術であり,機体であったように感じます。
だからこそYS-11量産1号機の保存運動 http://www.asahi-net.or.jp/~te7y-kbys/HASM/special/ja8610/ja8610.htm が起き,現在も大事に保存されている。
幸い,国立科学博物館の管理のもと,良好な状態で保存されているYS-11は,その保存状況を保つことがまず一番重要なことでしょう。
当時の日本の産業技術に関する研究の重要な証拠であり,展示公開することも大事でしょうが,点検,分解し,場合によっては試験飛行させるなど,現在,そして将来の研究にも役立つものではないでしょうか。
確かに,財政赤字がとんでもないことになっている今,新たな箱物を国や地方自治体が造ることについては,批判も多いでしょう。だから,羽田跡地利用推進会議が作ったCG http://ext01.chishiki.co.jp/haneda/Haneda.asx (Media Playerが開きます)にあるような立派なものではなく,敷地と格納庫だけでも,羽田空港,航空業界,国,国立科学博物館大田区そしてNPO・市民が出し合い,保存を続け,不定期でも良いから公開していただきたいと思います。
それにしても,博物館の一種の宿命ですね。たとえ見学料として1,000円とっても,見学料ではとても保存経費はまかなえないでしょう。公開のための光熱費と受付,セキュリティすらまかなえないかもしれません。それでも,将来の世代のために大事なものは保存していくのが博物館の基本的な性格。そのために,税金の投入や寄附,ボランティアなど,強制的にまたは博愛の精神で担われるのが博物館。
博物館の入館料については,http://d.hatena.ne.jp/ironsand/20041120#p1http://d.hatena.ne.jp/ironsand/20060315#p1でも触れています。

2008年9月8日追記

羽田経済新聞の記事(9月2日)から

羽田に航空宇宙科学館設立構想−「空の日」イベントにミニ博物館出展
羽田空港に大規模な航空宇宙科学博物館を設立する構想が進んでいる。
 構想は、日本を代表する航空宇宙博物館の必要性、同空港沖合展開跡地の有効活用、文化的ニーズへの対応と日本の高い科学技術を内外に伝えることの重要性を受けて、業界関係組織・団体で構成する「羽田航空宇宙科学館推進会議」が推進するもの。設立目的に、航空宇宙の歴史・技術・資料の収集・展示・調査研究のほか、同分野における国際的な人・物・情報の交流、将来の人材の養成などを掲げる。
 計画によると同博物館は「本格的な国家レベル」(同会議)の施設で、アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館やフランスのル・ブルージェ航空博物館と同規模にしたいという。計画地を羽田空港沖合展開跡地とし、既存の建造物の再利用も検討する。展示コンセプトには、特色の探求・最高水準の教育機器・羽田空港の意義など6項目を挙げる。
 同会議は1988年の発足以来(当時は航空関係者・ジャーナリストらによる「羽田航空宇宙科学館設立準備会」)、構想実現に向けて署名・陳情・シンポジウム開催・出版物刊行などさまざまな活動を続けている。昨年には大田区議会へ陳情も行い、同区が今月発表した同跡地利用の独自提案では「導入する機能・施設例」の一つに「航空産業博物館」が挙げられた。
 また、同会議は2002年より毎年、日本の航空の歴史や技術を展示する内容の「ミニ羽田航空宇宙科学館」を開催。7回目となる今年は9月7日の「空の日フェスティバル」に合わせて開設予定で、テーマは日本のヘリコプター時代を作った名機「ベル47」。同機の写真や模型などの紹介を予定している。会場は同空港第1旅客ターミナル6階シリウスの間。開場時間は10時〜16時。
 同空港の再拡張・国際化が進展する中、同会議では引き続き構想実現に向けた活動を積極的に展開していく。(取材協力:みんなの空港新聞)

2009年2月16日追記

2月16日の毎日新聞都内版の記事から

航空博物館:羽田空港周辺に 民間有志・宇宙科学館推進会議が構想
  ◇国内初フライト成功100年へ ◇新聞社航空部の活躍など模型やパネルで紹介計画
1910年、代々木で飛行機の国内初フライトが成功して来年で100年。日本航空史の大きな節目を前に、大田区羽田空港周辺に航空博物館をつくろうという民間有志のグループ「羽田航空宇宙科学館推進会議」(事務局・目黒区)の動きが活発化している。同区は、空港の沖合拡張で生じた跡地(国有地)の利用構想で博物館設置案も盛り込んでおり、会議メンバーは「日本の空の将来を担う子供たちをはぐくむため、ぜひとも実現させたい」と意気込んでいる。【真野森作】
同会議は、国内初導入のジェット旅客機「DC−8」の保存を目指すグループが母体となり、88年に結成された。航空会社OB、航空ジャーナリスト、航空ファンなどで構成し、現在メンバーは約160人。初代会長は飛行機好きの作家で精神科医の故・斎藤茂太さん。2代目会長は、航空界の「生き字引」的存在で元航空事故調査委員の幸尾治朗さんが務めている。
 博物館建設を目標に、行政や業界団体などへの陳情や啓発活動を継続。00年からは航空宇宙工業会主催の国際航空宇宙展に参加して零戦のエンジンなどを展示、02年からは羽田空港の空の日フェスティバルにも展示ブースを出展してきた。
 同会議の構想では、航空博物館は「温故知新」を旨として▽戦前・戦後の国産機開発▽羽田空港の歴史▽新聞社航空部の活躍▽航空産業の将来−−といった幅広いテーマを実物や模型、パネル、シミュレーターなどで紹介する計画だ。
 元航空機関士の高橋暢也副会長は「現状では多くの貴重な航空遺産が散逸し、保存されても活用されていないケースが多い。空の玄関に隣接して博物館をつくり、広く公開できれば」と語る。実際に、国立科学博物館保有する戦後初の国産旅客機YS11は、展示場所がないまま羽田の格納庫で眠っているという。
 毎日新聞社が1939年に国産双発機・ニッポン号で世界一周飛行に成功して今年で70年。再来年の2011年には羽田空港が開港80年を迎える。三菱重工業が四十数年ぶりに国産旅客機開発に取り組んでいることもあり、航空産業へ注目が集まっている。同会議はこの機会に運動を盛り上げたいという。
 問い合わせは事務局長の大河義一さん(03・3712・4227)。ホームページは(http://www.asahi-net.or.jp/~te7y-kbys/HASM/