教育再生会議のゼロ・トレランス

いわゆるいじめ問題に関して,教育再生会議が11月29日まとめた緊急提言を見ると,「いじめをした子どもに対する指導、懲戒の基準を明確にし、社会奉仕や別教室での教育など『毅然とした対応』を取るよう、学校に求めた」(11月29日 毎日新聞より引用)内容となっている。
 自分自身,「差別は反社会的な行為として絶対許されるべきでないこと」と思い,差別を禁止する法整備を期待しているところであるが,今回教育再生会議が緊急提言の①で,「いじめは反社会的な行為として絶対許されないこと」と述べているのは,若干のニュアンスの違いはあると言え,ほぼ同じ立場に立つものである。
ただ,どのように実現していくかというと,なかなか道は遠いと言えよう。
というのは,この緊急提言にうさんくささも感じているからである。
緊急提言の②には,次のようにも述べられている。

学校は、問題を起こす子どもに対して、指導、懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応をとる。
〜例えば、社会奉仕、個別指導、別教室での教育など、規律を確保するため校内で全教員が一致した対応をとる〜

「出席停止」は組み込まれていないということで,ニュースにもなったが,これはいわゆるゼロ・トレランス方式である。
 とにかく何であれ「規則」を守らせるということだけについて言えば,おそらく,極めて有効な手段であろう。
 しかし,「規則」が一人歩きし,「教育理念」「対話」が置き去りにされる可能性も高い手段でもあるのだ。
ゼロ・トレランスについては,http://www.aba.ne.jp/~sugita/119j.htmhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E6%96%B9%E5%BC%8Fなどを参照
学校内,社会内で差別やいじめは昔から存在した。もしかしたら,昔より差別やいじめは,少なくなったのかもしれない。少なくても顕在化することは少なくなってきている。
 しかし,一人一人が差別やいじめにより侵される人権の重さは昔も今も同じ。数が少なくなったとしても,差別やいじめに苦しむ一人を守ることは極めて大事である。
まさに,いじめは反社会的な行為であり,いじめを許してはならないのである。
ところが,この1か月ほどのこの状況を利用しようとする鎧がすけて見えるように思う。教育基本法改定に利用しよう,とか,戦後の民主教育への流れを逆向きにしよう,という鎧がすけて見えるようである。
 だから,うさんくさく感じてしまうのだ。
とにかく,一人 一人の命と人権が大事なのである。「出席停止」が組み入れられなかったのは,その意味で正解だった。さらに,様々な側面で,ゼロ・トレランスの濫用がないよう,注目していかなければと思う。

自分自身は,最も大事なことは,「不可侵,不可被侵」というように,「他人の権利を侵さない,自分の権利を侵されない」の意思だと思っています。
 「いじめはだめだ」と言うだけでは半分。そしてしばしば建前で終わってしまいます。
 さらに,大事なことは「自分の権利は侵されちゃだめだ」と言うことだと思っています。
 CAPプログラムhttp://www.cap-j.net/など,自分の権利を守ることが大事という運動も,学校現場に広がってきてはいます。

まさに,自分を守るということ,暴力やいじめ,差別が自分に向けられるとき,それを許さないということ,そしてその「闘い方」を教えることが大事だと思います。その「闘い方」は,理不尽な「規則」への「闘い」にも繋がるので,嫌がる教員もいるんでしょうけれどね。