指定管理者制度を巡るメモ

東京都三多摩公立博物館協議会会報「ミュージアム多摩」No27より

「学習会『博物館における指定管理者制度を考える』を開催して」(金子淳)を読んで
 博物館を取り巻く危機的状況。母体企業や地方自治体の収益状況や考え方による博物館閉館が相次ぐ。首都圏周辺の私立博物館の閉館状況。セゾン美術館(1999/2/15閉館),三越美術館(1999/8/20閉館),東武美術館(2001/3/4閉館),千葉そごう美術館(2001/4/22閉館),小田急美術館(2001/10/31閉館),伊勢丹美術館(2002/3/5閉館),目黒雅叙園美術館(2001/6/30閉館),出光美術館(大阪)(2003/3/23閉館),五島プラネタリウム(2001/3/11閉館),サンシャインプラネタリウム(2003/6/1閉館)。
都立博物館の閉館状況。東京都近代文学博物館(2002/3/31閉館),東京都高尾自然科学博物館(2004/3/31閉館,高尾についてはhttp://d.hatena.ne.jp/ironsand/20040513#p1でも触れています)。
合理的な経営の要請の中で,資料購入費のカットや収蔵庫の終日空調解除,人減らし,指定管理者制度の導入などが博物館に押し寄せている。
北九州市小倉城庭園(井筒屋が受託)の例は,『博物館研究』40巻10号,2005年に,山本紀一氏(小倉城庭園館長)の報告がある(詳細は後述)。
指定管理者に対する懸念の声はおおむね四点に分けられるであろう。1:継続性(長期的な展望を持てるか,継続性のある事業をどう担保するか),2:学術性(短期的に収益を生まないような調査・研究活動が続けられるか),3:処遇(職員の雇用),4:運営(サービスの質など,運営に対して市民や議会の監視がきくか,責任の所在は明確か)
学習会の中で,長崎歴史文化博物館の指定管理者(乃村工藝社,少なくても今の時点ではしっかりとした運営がなされており,小倉城庭園と対極的)の中島秀男氏からの報告が行われたが,そこでは積極的に博物館という公共的文化的サービスに携わろうという立場から,それらの懸念に対する指針が示された。詳細は省くが,『ガバナンス・レベルは設置者が,マネジメント・レベルは指定管理者が担う』との言葉通り,設置者の経営責任次第であることが確認された。

小倉城庭園の例(『博物館研究』より)

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指定管理者の期間は当初は2年間と短かった。現在は3年間。1998年開館時は第三セクターに全面委託されていたが,2001年から市の直営(職員の多数は第三セクター所属),2004年から指定管理者制度が導入されたとのこと。
 指定管理者制度の導入にあたっては,それまでの職員は自動的に解雇。6か月契約の社員を新たに採用することとなり,それまでの職員11人中,4人のみが労働条件の悪化,ベースダウンの中残った。学芸員についても6か月契約とのことで,それまでの学芸員は将来への不安から退職。館長の主張,すなわち「継続的な仕事をする優秀な人材を確保するため,長期的な身分を保証すべき」との主張は通らなかった。
 その結果,2005年現在の体制は,井筒屋デパート(指定管理者)の正社員及び6か月の契約職員(学芸員含む)で構成。職員の給料もダウン。開館以来のベテラン職員も退職し,デパートの正社員は1年も経たず異動。企画展等で出てくる企画と言えば,デパートの催事として売り込まれたパッケージものばかりで館のコンセプトとは関係ないものばかり。学芸員という専門職に対する理解もないため,人減らしの中,学芸員は力仕事のできる数少ない男性社員として雑用に追われ,研究活動にさく時間もない。そもそも研究や展示(普通は3年くらいの計画は立てたいし,さもなくば,まともなものは独自ではできない)などの事業計画を立てる時間が,職員の6か月の契約期間,2〜3年間の指定管理期間では持つこともできない。
 指定管理者制度のねらいとしては,効率性,サービスの向上,雇用創出などによる活性化であるが,提供する「文化」の質がお粗末になってしまったら,サービスの意味がない。
−−−−−−−ここまでサマリー

小倉城指定管理者制度の導入については,新聞やラジオなどでも取材を受け(行政や井筒屋デパートなどが),かなり取り上げられてきましたが,その際には,まずまずの成功と報じられています。ただ,このレポートを読む限り,「成功」と言っているのは,行政や井筒屋デパートのみではないでしょうか。博物館で実際に資料の収集保管や展示・学習支援サービスに当たっている職員は成功とは捉えていないし,おそらく,受益者である北九州市民も,内実を知れば,成功とは捉えられないでしょう。
文化的サービスの質に意味がなくなるのであれば,指定管理者に委託のための税金を出す意味もなくなりますし,その土地や不動産を,文化的サービスのために市が保有している意味もなくなります。
 中途半端な制度の導入のため,無駄なものに公金を支出している状態になっているのかもしれません。