古代出雲歴史博物館その2

1984年に荒神谷遺跡で大量の青銅器が発見され,それを契機に島根の古代文化を調査研究し,活用するための拠点として古代文化研究センターの設置が提言されたもの。
1992年古代文化センターが置かれ,長期的には調査研究成果と展示のノウハウが蓄積された段階で,歴史博物館と古代文化研究センターが設置される計画ができた。
その間,1996年には加茂岩倉遺跡から大量の銅鐸が発見,2000年には出雲大社から巨大な柱が出土した。
2001年,歴博出雲市(大社町)に,古代文化研究センターは松江市に整備される計画となった。残念ながら財政難のなか,歴博の事業費は151億円から120億円に削減され建築計画,展示内容の縮小が迫られた。古代文化研究センターの整備は先延ばし(現在も)されたままである。
2004年5月には地元に「古代出雲歴史博物館を支援する会」発足。12月に建物本体工事完了し,現在,内部工事が進行中。
少し疑問が。。歴史博物館では当然展示が行われる。調査研究,収集,保存は歴史博物館でちゃんと行われるのだろうか。古代文化研究センターと歴史博物館は機能を分担する形の計画で,歴史博物館は展示・紹介を,古代文化研究センターは調査研究を担当することとなっていた。その研究センターが先延ばしになる中,どれだけの継続的な調査研究,資料収集活動が行われるのか,また研究成果の発信,市民への研究・討議・学習の場の提供がどれだけ行われるのかが,いくらか不安として残る。
すでに,1992年に古代文化センターが設置され,また県立博物館や埋文センターがあるなど,研究,収集の歴史はあるが,博物館の研究,収集は継続性があってなんぼの世界である。良い展示はできたとしても,多少不安なところであるし,既存の古代センターが調査研究の場であるといえ,松江市出雲市では機動的な動きは困難である。