小川三知

国立科学博物館ニュース426号(2004年10月号)
国立科学博物館のステンドグラス」田辺千代氏の文章より抜粋。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
国立科学博物館のステンドグラスについては三知の作品であるとか,違うとか様々な見解がなされてきたが,三知が関わったものであることが明らかとなった。

小川三知は1867年5月29日 静岡市呉服町で藩医小川清斎の次男として生まれた。
弟剣三郎は東京帝大を出て眼科医として有名。
三知は静岡濠頭小学校,静岡中学校を経て1883年上京,独逸学協会学校に入学,その後第一高等中学校に進み医学の勉強に励むが,絵画への情熱も強くなる。
遂に父を説き伏せ,1889年東京美術学校に入学。同窓には板谷波山がいる。

国立科学博物館本館は,1923年,それまでの建物が関東大震災で全焼したことから建設計画が始まった。
実際の着工は1928年。完成は1930年である。

1927年の国立科学博物館設計図にステンドグラス案が書かれている。
ところが,最も大きなドーム周辺の半円形のステンドグラスは現存するものと大きな違いが見られる。
小川が死んだのは1928年。
小川が死去した後,三知の志を付いた生代夫人を先頭に,工房の職人たちが
総力をあげて製作した作品だったのである。

生代夫人が大竹龍蔵に当てた書簡に,夫人が主役となって仕事したこと,図案は伊東忠太によることが書かれている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

http://d.hatena.ne.jp/Mashi/20040927
に触れられているように,
慶応大学図書館青森県宮越邸,新宿河田町小笠原伯爵邸などに残る小川のステンドグラス。
建物を保存するのは,単に置いておけばいいということではない。
日常のメンテナンスが必要である。
これらのステンドグラスが残るのも,小川三知の作品に魅せられ,不断のメンテナンスを
行っていた人々の歴史がつくったものである。
もし,誰かがその価値を知らず,その美しさを感じず,これらの建物を引き継いだら,
歴史はとぎれてしまう。

#実際,失われてしまったものも多いことであろう。

11月13日 追記

国立科学博物館の本館の改修が始まるとのこと。
デザイン上大きな改修になるという話も聞こえてくる。
階段,回廊など中央ホールや正面のファサードなどが変わるとのことだが,,,
改修工事で得るものと失うものを押さえていくことが必要なのだろう。