社会教育についてのメモ(生活との関わりから)

2009年9月21日のエントリー中「公立図書館の玄関に怪獣がいる」のくだり,そしてまた2009年9月8日のエントリー地方分権改革推進委員会第3次勧告と博物館法の話題にも少し,関連して考えることができると個人的に思っているため,ちょっと雑誌からメモ。感想も途中までですが。
雑誌『社会教育』(財・全日本社会教育連合会)2009年11月号の「社会教育の迷信(3)−地域の課題を考え抜く人たちはいるのか?」(小田玲子)から。

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「公共性」とか「公教育」がつかめないままの社会教育では,・・・公共人間を育成することはできなかったと言えるのではないか。それを象徴するように,日本の社会教育では,自らのキャリア・アップを目指すような講座が盛況だ。
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1970年代のMITでは,都市工学で知られるジェイ・フォスターがいわゆるシステム思考の原形をつくりあげた。・・・フォレスターによるシステム工学と失敗学は,少なくとも一つの共通点があるように思える。それは,社会の30年後,40年後の在り方を正確に予測し,あり得る害に対しては対策を講じておくという,きわめて公共性の高いものだということだ。
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私見では,日本の社会教育は将来的には,いわゆるシステム思考を取り入れざるを得ないほど切迫している。
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ご多聞にもれず,「システム思考」も,日本に紹介されて以来,奇妙な変形を遂げているようだ。すなわち,いわゆるポジティブ思考のようなものとしてとらえられている。・・・本来,きわめて社会教育的な価値を内容しているシステム思考が,ここに至って,ビジネススキル化している。
もっとはっきり言おう。現在の日本のシステム思考推進者の一部の人々は,個人の上昇志向との相乗りを図っているように見える。
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フォレスターは,社会教育を介してシステム思考を広めようとしていたのではないか。」これが,私の仮説である。フォレスター的なシステム思考が最終的にめざしたのは,「安全な都市生活」であったと,私は考える。伝統的な社会教育のテーマである「人々のくらし」の諸相,さらには,地元に特有の文化などに関する情報が,システム工学には不可欠なのである。・・・「安全な都市生活」という課題を地域の人たちが皆で考えていく仕組みとして,社会教育をすえるのである。
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特徴ある地元の風物,習慣,地形などが,社会教育の学習の対象になることは多い。いわば,単一のループだけの学習だ。それらを諸ループとして,・・・公共性のある地域の問題のなかから選んだ主要ループと関連づけていくような学びが,すなわち,システム思考の社会教育であり,これからの最有望であろう。

明治末に,大逆事件をきっかけとして,文部省内に通俗教育調査委員会が設置されています。「社会」という言葉を嫌って「通俗教育」と名付けられていますが,ここで検討されたのは,いわゆる社会教育であり,統治システムとしての国による「民衆教化」についてでした。
第二次世界大戦後,社会教育の目的は大きく変わります。
昭和22年に公布された教育基本法(昭和22年,法律第25号)では,第1条に於いて「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と教育の目的が定められています。第7条では,「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。」とされ,教育は様々な場・様々な形態で行われるけれども,国や地方公共団体はそれを奨励すべきことが定められています。「より良い」国家及び社会が形成されるために必要なことという考えからです。学校教育に限らず,国や地方公共団体が奨励する教育を特に「公教育」と呼んでも良いでしょう。
しばしば,義務教育,または学校教育のことのみを指して「公教育」と呼ばれています。しかし,学校以外の部分でも,つまり社会教育部分でも「公教育」はありえます。
民衆教化ではない,まさに社会の主体的な形成者の「育成」のために,国民に責任を持って国や地方公共団体が奨励する「社会教育」とは何なのか。
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