10月上旬の東京妊婦脳出血死亡に関して

10月22日から,新聞・テレビ等マスコミ各社で,報道がされている件です。
時系列で追ってみると,次のようになっているようです。

10月4日(土)午後6時頃,患者(36歳,妊娠35週と4日目)の夫からかかりつけの診療所に,患者が下痢と嘔吐があると連絡。診療所の医師は救急車で来院するよう伝えた。
午後6時52分,救急車が診療所に到着。その際,夫から,救急車が自宅に着く直前に頭痛の訴えがあったと話している。それから,診療所では,採血と超音波検査を行い,医師は妊娠自体にトラブルがないことを確認。ただ,頭痛が尋常ではなかったとのこと。
午後7時頃,診療所の医師が電話で墨東病院に受入の可否を問い合わせる。墨東病院の当直医は,産科の当直医が一人しかおらず,土日は基本的に母体搬送を受け入れていないと回答。診療所の医師から「受入可能な医療機関を教えてほしい」と依頼を受けた当直医は周産期医療情報ネットワークを検索し,3病院を紹介。医師は,3病院を含め,6病院(東京慈恵会医科大学附属病院慶應義塾大学病院日本赤十字社医療センター順天堂大学附属順天堂医院,日本大学附属板橋病院,東京慈恵会医科大学附属青戸病院)に受入可能か連絡したが,それぞれの医療機関は,別な出産に対応していたことや,集中治療室が満床だったこと等により受入不能と回答。
午後7時45分頃,再び墨東病院に連絡。墨東病院では,病状や事態を勘案し,当直外の産科医を呼び出すこととし,午後8時頃,受入可能と回答。なお,同じ頃,東京女子医科大学東医療センターも受入可能と回答。診療所からの距離が近い墨東病院に搬送。
午後8時18分,墨東病院に救急車が到着。午後8時半頃,墨東病院では,脳卒中が疑われるため,脳外科医の当直医も対応に加わる。
午後9時41分,帝王切開で出産。
午後10時24分,頭部の血腫除去術を開始。
翌5日午前1時28分,手術終了。
7日午後8時31分,脳内出血による死亡確認。

午後6時に最初の訴えがあってから,午後8時18分に墨東病院に到着しています。その後の処置も,全く遅れることなく,行われていますので,実は,どこにニュースバリューがあるのか,未だに理解できません。
 しいて言えば,都立墨東病院について,東京都は総合周産期母子医療センターとして指定しておりながら,「土日は"基本的に"母体搬送を受け入れていない」と回答せざるをえない体制としていたことでしょう。
 少なくても,個々の医師の判断や医療行為には全く問題はなかったと思います。
2008年に東京都が策定した,第二次都立病院改革実行プログラムでは,2006年度で85.9%だった病床利用率を87%以上に高めるなど,都立病院の収益改善に着手することとしています。経費の節減,空きベッドの減少は収益改善には繋がっても,医療サービスの低下にも繋がります。救急の患者を受け入れるのは困難になるでしょう。しかし,公立病院の場合,収益改善に着手しなければ,そもそもそれを支える自治体の財政に響いてきます。この日記の2008年3月20日のエントリー「銚子の私立病院で逃散が進むか」追記でも書いていますが,自治体自体,公立病院を支えることが不可能となってくる状況に追い込まれているのです。
今回の,東京での妊婦脳出血死亡について,亡くなられた患者さんのご冥福をお祈りいたします。けれども,数十年前,1960年代,70年代でも,基本的に,この規模の脳出血を一度起こしてしまえば,ほぼ助からないことが,当時の私たち(追記:一般住民の意味です。私は医療関係者ではありません)の常識だったように思います。当時,今回の事象が起きていれば,赤ちゃんを助けられてよかったと感謝と賞賛を医療関係者は受けていたかもしれません。
 もちろん,医学知識と医療技術は当時より悠かに進展してきています(医療関係者の日常の努力と,不幸な結果となることもあった様々な事例の積み重ねのおかげです)。当時であれば,助けられなかった患者さんを,様々な手法で救命することができるようになっています。
そして,そのためには,MRIなどの様々な高度医療や医薬品が必要です。当然,救命にかける経費も以前より多く必要です。
 日本の社会全体が高齢化するとともに,医療に対する人々の期待が大きくなってきている。
 しかし,日本国民は医療費の増大を望んでいないようである。
 政治は,政治家は,その日本国民の意思を政策に反映させている。
その結果,高額医療費を払える人は極めて高いレベルの医療を受けられることになりますし,そうでない"普通の"住民は限られた医療費の中で,諸外国に比すれば高いレベルの医療を受けられている。ただし,人材や設備,経費等の資源が限られているので,運やタイミングによって左右されることが多くなってきたということになります。
今回の事象は,今後の日本の住民に対する医療サービスの在り方について検討され,判断される際に,若干運やタイミングによって左右された一つの事象として語られることになるのかもしれません。


今回の事象について,マスコミや様々なブログで医療関係者や,地方行政を責める言説が見られます。しかし医療関係者や地方行政を責めたところで何も生みません。
 税金または健康保険の保険料を増大させても医療費を増やしていくのか,それとも,医療サービスの低下を招いても税金や保険料の国民負担を少なくさせていくのか,参政権を持つ国民が自ら判断していかなければならないのだと思います。
 そのような分析をマスコミにも期待します。

追記

妊娠・分娩時の脳出血は,重篤な症状で,救命は極めて困難という報告が出ています。
「産科医療のこれから」さんの2007年9月7日のエントリーに,「妊娠・分娩時の脳出血」という報告(鮫島浩,1999,周産期医学 vol.29 no.2,p205-9)が紹介されています。
1991年,1992年の2年間にあった妊娠・分娩時の死亡例27例の検討によるものですが,発症前の妊娠中の理想的なコントロールも含めて,数例には救命の"可能性"(あくまで可能性)があったという報告です。

追記

マスコミ報道では,救急隊員が東大病院にも受入要請をしていたとのことです。NICU満床のため,受入は不能と回答していたとのことです。