職務放棄の地対室長佐藤文友

地対室長といってもなじみはなかろう。
総務省大臣官房地域改善対策室長のことである。
地域改善対策とは、以前は、同和対策と呼ばれた一連の行政施策である。
現在の地域改善対策室長は佐藤文友氏。


さて、アイヌ民族の存在そのものに対する鈴木宗男衆議院議員平沼赳夫経済産業相の差別発言を引くまでもなく、国内にはさまざまな差別が存在し、それに苦しむ人々が、様々な局面で存在する。
みなさん、あなたも、私も、局面によっては、差別に苦しむ可能性がある。
部落解放同盟委員長の松本治一郎氏の言葉「不可侵、不可被侵」は、人々に対し、人権を侵すな、人権を侵されたままでいるなと呼びかけたものである。
鈴木、平沼の発言に対して、この発言により人権を奪われたと思えば、そう思った人々は声をあげる。それは当然のことである。
そこで、対話が生まれる。


鈴木議員に対しても、地対室長に対してでも同様である。
現在も、各地で部落出身であることを理由とした差別事件が起きている。
私自身も差別的な発言を、インターネットの2チャンネル掲示板を除いても田舎のある大人によるもの、京都の知り合いによるもの、職場の知り合いによるもの、落書きなど、4つは直接その場に居合わせたことがある。
状況としての差別は、さらに見ている。
それゆえ、部落差別を受けている人々は、行政で現に担当である佐藤氏に、その現状をぶつけた。
それも彼の仕事であるからだ。
今年、2001年8月3日の総務省交渉のことである。


30年前、私たちは、部落差別問題の解決は国行政の、そして国民的課題であるとの 同和対策審議会答申を、得ることができた。
行政が、差別が存在し、その解決に責務があることを認めた瞬間である。


ところが、8月3日の総務省交渉において、佐藤はその同和対策審議会答申を無視したのである。
彼個人の意見なのか、小泉政府の意見なのかわからないが、彼の発言によると、部落差別に関して行政は責任を持たない。差別解消のための特別措置の必要を認めないというのである。


このような独りよがりのキャリア官僚に対し、私達は歴史的、社会的事実をぶつけ、反省をうながしていくことがひつようであろう。


アメリカ社会において、形式的平等equalityという口実が、実際の社会的差別のもとで否定され、マーティン・ルサー・キング・ジュニア牧師の血などの犠牲を払いながら、公平さequityの重要さが、ようやく国民、社会に拡がった。


このequityの重要さを日本においても、女性、障碍者アイヌ民族、うちなー、在日外国人、そして差別に対し声をあげる様々な人々と連帯して、広く人々に、そして行政と行政を私物化しようとする一部官僚に対し、理解をはかっていかなければならないと思う。