北関大捷碑の返還

http://d.hatena.ne.jp/ironsand/20050625#p2に触れた本「東京のなかの朝鮮」の中に北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)が出てくる。
靖国神社の片隅に忘れられたように立っているこの碑,もともとは,現在の北朝鮮に位置する咸鏡道(ハムギョンド)に秀吉の朝鮮侵略後,建てられたものとのこと。
秀吉の侵略(壬辰倭乱)の際に人々が立ち上がり,ついに秀吉軍を撃退したことを記念して建立したものなのです。
日露戦争時,当時の「大韓帝国」とロシアの国境付近である咸鏡道に日本が軍隊を送った際,ある少将がこの碑を見つけた。彼は「日本を撃退したという碑があるのは,今後の日韓親睦に差し障りとなる」と考え,そのため,地元住民を説得の上,1905年の帰国の際に一緒に持ち帰ったというのが真相のようです。靖国遊就館戦没者の遺品とともに,戦利品が保存,陳列されている場所であり,この碑も「戦利品」として持ち込まれたのでしょう。
秀吉の朝鮮侵略を朝鮮民衆(義兵)がうち破ったと書かれているこの碑は,靖国神社の案内板や,神社発行のパンフレットなどには記載されていないとのことも,先に触れた本には書いてありました。
さて,この北関大捷碑,いよいよ韓国を経て,もともとの地に返還されることになりそうです。今年3月の新聞記事
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/01/20050301000028.html
にも触れられていましたし,日韓仏教福祉協会のページでも触れてありました。
http://www.h7.dion.ne.jp/~bankoku/nkb/hokkandaishohi_01.html
そして,いよいよ返還に向かって動き始めたことが11日公開されました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051011-00000305-yom-pol
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/%EF%BD%8A-2005/04/0504j1003-00003.htm
北関大捷碑については,clawさんのところの方がずっと詳しいです。
http://d.hatena.ne.jp/claw/20051014