村八分裁判,赤城徳彦,古河市,座間味,他

村八分裁判。新潟県関川村沼 36戸 沼集落開発センター? 被告側は地元有力者(八分している側)が行政から補助金を詐取,二重帳簿を作成したことを初審で認めている。地元有力者の弁「集落で決めた事項に従わなければ村八分にする」。「関川村全体がおかしいわけじゃなくて沼って集落の人間たちがやってることなんだから『沼八部』って言ってください。他の集落ではこんなヘンなことしてないし、いいところなんだよ…」という声も。。。

赤城徳彦農林水産大臣の虚偽経費計上問題。茨城県筑西市赤浜
 2ch情報
 母ちゃん曰く「家賃や光熱費は受け取っていない。秘書などはおらず私たち(夫婦)が住んでいるだけ}また「選挙の際には水戸の事務所がが中心でここを使って活動していなかった。ここが報告書に記載されていることも知らなかった」
 政治資金報告書に名前を書かれていた元県議曰く「自分の名前が使われていることも知らなかった。実家に行った事も無い」

2chの拾いもの

 俺も町内会入ってない。
 別に拒否した訳じゃなくて、残業が多くて近所と顔あわせないんで誘われるタイミングを逸したみたい。
 で、とくに嫌がらせとかはないんだが、行政の方の対応が変。
 役所が、町内会に入ってない人の粗大ゴミは収集しないとか言ってる。
 役所は税金で運営されてるんだから町内会関係ないだろ!と文句言ったがなしのつぶて。
 因みに、茨城県古河市で、旧・総和町です。

ちょっと怖い。


座間味のお医者さんが嫌気をさした件。
沖縄タイムスの4月25日の記事から

座間味・医師辞意/中傷文がきっかけ
 【座間味】県立座間味診療所の医師(59)が辞意を表明している問題で、医師の村内での活動を中傷する匿名の怪文書が三月、医師の自宅や村内、県病院事業局に配布されたため、辞意を決意するきっかけになったことが二十四日までに分かった。
 医師は「怪文書が出回って以降、受診に来ない患者がいる。島に一つしかない診療所に、少人数とはいえ受診できない状況、受診しづらい状況をつくってしまったことは医師として耐え難かった」と打ち明けた。
 怪文書はA4サイズの紙一枚。医師が発起人メンバーとなって昨年の村議選前に開いた公開討論会や村内の諸問題を話し合う有志の会参加などを暗に指し、「村民同士の対立を煽り(中略)村長の『首』を取る計画」として、言動を慎むよう求める内容。
 医師は「村の不祥事や環境問題など村政に対して意見してきたが、自分の利益のために発言したことは一度もない。公務員医師の立場を忘れたこともない」と強調。「一村民として率直に発言してきたつもりだが、受診者に影響が及びショックを受けた」と話した。
 五月末での辞意を表明している。ただ、医師は「医療の空白期間はつくれない」と述べ、後任のめどが付くまでは診療を続けるが、辞意の意志は変わらないという。
 怪文書は村民にも動揺を与えている。五十代の男性は「先生は村民との信頼関係を非常に大事にする人で信頼も厚かった。文書による暴力で言論を封じようとする行為は許し難い」と語った。
 仲村三雄村長は「村政は村民と一緒に正々堂々議論するべきものであり、許せない行為。誰が書いたか分からないが、私が名誉棄損で訴えたいくらいだ。先生のことは信頼しており、慰留のためにできる限りのことはしたい」と話した。

graceno12001さんは,青い海 白い砂 黒い心と紹介しています。
janjanの西脇尚人さんの4月21日の記事4月25日4月28日5月10日5月22日5月26日6月1日の記事にも出ています。
なお,栃木県塩谷郡市医師会ホームページのマスコミウォッチのページも興味深いです。無医地区問題の話など,偏見に満ちていると思いますが,同時に医師の本音でもありますね。医師は診察を拒否できませんから,次善の策として地区から撤退する,その原因はという話です。行政のスタンスがセーフティネットから規制緩和にシフトしてしまっていますから,無医地区に医師が来ない傾向は一層進んでいます。

10月10日追記 村八分裁判控訴審

2審も「村八分」は違法 集落の有力者に賠償命令

 行事への不参加を申し出たため、キノコ採りのための入山を禁止されるなど「村八分」にされたとして、新潟県関川村の住民11人が、集落の有力者3人に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁は10日、計220万円の支払いと入山禁止の中止などを命じた1審判決を支持、有力者の控訴を棄却した。安倍嘉人裁判長は「集落員としての権利や生活上の利益を奪うもので違法」と判断した。[10月10日 共同通信]

当然といえば,当然の判決のようにも思います。被告側にも弁護士がついているのであれば,それなりの言い分はあるんでしょうね。被告側の言い分がわからないから,外からは判断しようもないけれど。

2009年6月27日追記 思い出したようにプロファイリング

沼は江戸時代には街道の宿駅。近くには金山があり,沼川では砂金もとれたという。近くの「畑」には銅の鉱山(明治初期の1868または1874ごろに発見)があり,戦前は300人ほどの人口があった。
1987年にわかぶな高原スキー場がオープン。